古代より人々が伝統的に行ってきた"巡礼"の旅、
聖地を巡る流れの中にどっぷり浸かってみると・・・・


 仏陀やイエス・キリストを始め、歴史に残る数多くの偉大な尊師がインド各地を旅した記録は、 とても興味深いものです。全世界で最も古い巡礼の伝統を持つ国インドで、 "Tirtha yatra (ティルタヤトラ・聖地巡りの旅)" は今日にも受け継がれる国民的な慣わしです。神々を探求する巡礼者は絶え間なく 聖なる地を巡り続けているのです。ティルタとは本来"川の浅瀬"という意味で、この世と神々の世界が出会うところ、 川を渡り神界に到着する事を目的とする場所。インドにある何億ものティルタは、僧や老人、家族連れなどあらゆる世代にわたる旅人によって結ばれ、三億の神々が繰り広げるヴェーダの世界はいつの世も人々に語り継がれ、愛されてきました。


ティルタの四種類
1〉daiva tirthas・・・神の慈悲深い行為に起因して最も尊いとされる場所。
2〉asura tirthas・・・神が悪魔を征服したところ。
3〉arsha tirthas・・・偉大な聖人及び賢人にいわれのある場所。
4〉manusha tirthas・・・王によって崇拝された場所。



巡礼案内書

 タージマハルやバラナシ?カジュラホの後はゴアへ?ヒッピーの足跡巡り? インドには膨大なカルチャー、ツーリストスポットがありますが、観光地には路上のストレス・汚染・嘘・駆け引きもまたつきものです。西洋化が進む都会を“India”、ヒンドゥーの聖地や村を“Hindustan”と呼びます。そこからもう一歩、荒野やジャングルに足を踏み入れてみると、神への純粋な愛情にあふれる“Bharat”に出会うことができます。
巡礼地についてのインフォメーションは、インドの本屋や駅などの売店にも見つけることが出来ます。ガイドブックは"地球の歩き方"や"ロンリープラネット"だけではありません。インドのどこにでも見かける壁に掛けられたポスターや神棚の絵もまた聖地を知るガイドとなります。その多くは絵の持ち主が聖地を訪れたときに持ち帰ったものであり、尋ねてみると彼らのティルタヤトラについて得意気に話してくれるでしょう。実に巡礼旅行はインドの人々の生活の中に定着しています。特有の道徳(菜食生活など)を持つ誇り高きインドの人々ですが、精神的な目的を持つ旅人または巡礼者は穏やかに迎え入れられるのです。

 リグヴェーダ、アタールヴァヴェーダには、川やその源泉、川の合流地点は聖地として紹介されていて、 そのような場所への旅行の長所が述べられています。同時にこうした聖地の多くは保養地でもあり、純粋な自然の恩恵によりアユルヴェーダに基づいた衛生・健康的な日々を送ることが出来ます。不思議の国インドには、その土地でしか薬効がないという薬草も少なくありません。
 マハーバーラタにおいて巡礼の実行はヴェーダにおける最も重要な儀式に等しいとされ、 プラーナも含めると膨大な数の巡礼地が紹介されています。Tirthayatra Parvaでは、聖者プラスティヤが ビーシュマに数多くの神聖な目的地について語ります。 ヨガの道をゆく者はラジャスタンのプシュカルよりその巡礼を始めること。北はバドリナート、東のプーリー、南のラメシュワラム、西のドヴァルカを巡る旅は、Chare Dhama Yatra 又はマハ パリクラマ(偉大な巡礼)として尊ばれています。

ナルマダ行脚

ナルマダ河巡礼の中心オームカレシュワー

 パリクラマとは上下河川や決められた神聖な目的地を徒歩で一周する巡礼です。
 例えばナルマダ パリクラマは、中央インドを流れる大河ナルマダの中程にある島、オームカレシュワーを出発して、その上下河沿いを3年3ヶ月13日をかけて歩いて一周します。一日に5−8キロ進み、雨季のあいだは沿岸にある村に滞在しながら、2400キロの巡礼道を歩くのです。広大なジャングル地帯を含むナルマダ沿岸を歩く巡礼者は、金銭を持たず炊事に必要な最小限の荷物のみを持ち、川沿いに無数にある寺院を巡拝します。『ナルマデーハール!』のマントラに巡礼者の到来を知る村人は、宿泊場所や必需品の世話をすると共に、お互いの知恵や情報を交換します。こうして何千年ものあいだ、ナルマダの巡礼文化は伝統として受け継がれてきました。
 このような巡礼の旅は、神々と自然への尊敬と信頼をつちかい、サバイバルトレーニングによって、永遠に生きる精神と神の存在を見出すものです。生きている神の世界の素晴らしさを知ることは、聖地を巡る旅人に与えられるご褒美なのです。


右写真:ナルマダの降誕地、アマルカンタク。

 この絵は広大なジャングルの奥地、“女神の庭”と呼ばれるナルマダ源泉地の様子をあらわしていて、中央に描かれている女神ナルマダを取り巻く神聖な場所を案内しています。このような案内図は、多くの聖地に見られ、神々の足跡を巡るティルタヤトラにおいて重要な情報源となるのです。
神々が自然や人間と共に暮らすこれらの場所は、神秘的な美しさで旅人を魅了します。
 〔詳しくは写真集にて アマルカンタク


On the Road

 “放浪”をすることは精神的発達において重要な役割をもっています。 巡礼者は家やすべてのものから離れ、ときには厳しい土地を行き、見知らぬ場所を巡る。 その中で、旅人は自己を見出し、神々や自然のあり方を感じます。 巡礼は求めるものを精神的な場所へと導き、旅の経験によってより高度な真実や道徳、知識を与えてくれます。こうして、その行為(旅)自体が神聖なものとなり、旅の展開やルート、道のり、 そして手足の動きまでも巡礼の旅を通して意味を得るといえるでしょう。また、巡礼者を助けるという行為によってもその巡礼の一部を担うことができるので、巡礼者はその日常生活を人々からの布施や手助けに頼ることができるのです。
 インド神話や伝説によると、神々や聖者も様々な聖地を訪れ、浄化されたというぐらいですから、巡礼文化の奥深さを感じます。 巡礼と観光旅行の違いは神に思考を集中させ、 旅を終えた時にはさらに神との親近感が高められている状態にあるということ。 巡礼者は神に依存し、簡素な生活を受け入れ、自制、誇りや怒りからの解放、 すべての創造物を平等に見ることなどを実践するヤトラ・サンニャシーとして、 殺生やギャンブル、夫婦外の性交、飲酒など中毒性のものを放棄し、 裸足で歩く、地面を転がりながら行く、金銭を一切保持しないなど、個人に相応する 様々なタパシヤ(タパス・戒律)を実行します。旅の苦労によって、罪は消えて無くなるとリグヴェーダにあるように、 巡礼者はタパシヤでカルマ(罪・業)を洗い流し、 沐浴をして身を清め、寺院を訪れて放浪を続けてゆきます。 こうして至福に満ちた巡礼者は、純粋な表情と共に美しく輝いています。

 ティルタヤトラにおいて、旅とダルシャン(神像や聖水など神聖な目的と対面をすること)は深い関係を持ち、 ダルシャンの素晴らしさを知ることによって インドにおける巡礼の民俗学を理解することが可能になると思われます。巡礼者は出会うすべての神像に対して敬意を示し、ダルシャン(ダルサナ)をもって 神の恩恵を自己内部に受け入れ、時には涙が流れるほどの内から込み上げてくる歓喜に浸ります。神像や聖地に神の存在や人格を認め るヴェーダに基づいた信仰は、私たちに愛情のあり方を認識させてくれるものです。


様々な民族や言語、宗教や宗派が混在するインドにおいて、 歴史を通して数多くの巡礼者が至る所を循環し、
ティルタヤトラという神聖な地理学によって全体的な文化や思想の交流と統一を 可能にしてきたということは、
“鉄の鳥”が空を飛ぶ今日、 世界の多くの人々がティルタヤトラを実践し、この循環の一部になることが出来ます。


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